#岡倉天心と松岡正剛 岡倉天心の人生の最後を語るに相応しいのは松岡正剛=自分だと言っている・聴きたいです [探求・研究]
岡倉天心と松岡正剛
★・・・・・
松岡正剛は
千夜千冊の中で
岡倉天心へ同化しているように思い入れをして語っている
★::::::
「天心の文章はほとんど読みきったという自負がある。
最初に買った全集は内藤湖南・南方熊楠に並ぶ岡倉天心全集。
評伝や評論のたぐいも目につくものは片っ端から読んだ。」
★∴∴∴
「当初、『茶の本』『東洋の覚醒』『日本の覚醒』をこの順に読んで、
胸の深部に太い斧を打たれたような衝撃を感じはしていたが、
その天心の実像や思索の内側に入りこもうという気分はなかった。」
★<<<<<
「ぼくは自分で自分なりの天心を復活させ、
五浦から失われたものを自分の内に蘇生させなければならないと思ったのだ。
すなわち、五浦に開く茫漠たる「この負」こそがぼくが継承すべき哲学や芸術や、
そして五浦にかかわった
天心・観山・大観・武山・春草の勇気そのものの空気だと感じられたのだ。」
★ーーーーー
「天心とその周辺の逆上をやっと語れるときがきた。
40歳をすぎていた。
しかしなんとかそうなるには、斎藤隆三と竹田道太郎が別途にしるした
分厚い『日本美術院史』に記載された大半の出来事と人物の隅々ににわたる交流のこと、」
★=====
「天心が文久2年に生まれて大正2年に52歳で死ぬまでの明治社会文化の根本的な動向と、
そして見えにくい細部の経緯をあらかた身につける必要があったのである。
天心をうけとめるとは、こんなにも辛いものかと思ったものだった。」
★+++++
岡倉天心の成長期から絶頂期までは千夜千冊に描いている
しかし
「この先の点景は書かないですますことにする。
★#####
天心の境涯はここからしだいに寂しくなっていくのだが、
今夜はどうもそれを書く気分になれそうもないからだ。
ほんとうは、ここから先こそぼくが書かなければならない天心なのだが……。」
★~~~~~
岡倉天心の人生の最後を語るのに相応しいのは
松岡正剛が自分だと言っている
聴きたいですね・・・・・その先を
松岡正剛:千夜千冊ー岡倉天心『茶の本』
千夜千冊で検索・参照ください
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松岡正剛は
千夜千冊の中で
岡倉天心へ同化しているように思い入れをして語っている
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「天心の文章はほとんど読みきったという自負がある。
最初に買った全集は内藤湖南・南方熊楠に並ぶ岡倉天心全集。
評伝や評論のたぐいも目につくものは片っ端から読んだ。」
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「当初、『茶の本』『東洋の覚醒』『日本の覚醒』をこの順に読んで、
胸の深部に太い斧を打たれたような衝撃を感じはしていたが、
その天心の実像や思索の内側に入りこもうという気分はなかった。」
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「ぼくは自分で自分なりの天心を復活させ、
五浦から失われたものを自分の内に蘇生させなければならないと思ったのだ。
すなわち、五浦に開く茫漠たる「この負」こそがぼくが継承すべき哲学や芸術や、
そして五浦にかかわった
天心・観山・大観・武山・春草の勇気そのものの空気だと感じられたのだ。」
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「天心とその周辺の逆上をやっと語れるときがきた。
40歳をすぎていた。
しかしなんとかそうなるには、斎藤隆三と竹田道太郎が別途にしるした
分厚い『日本美術院史』に記載された大半の出来事と人物の隅々ににわたる交流のこと、」
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「天心が文久2年に生まれて大正2年に52歳で死ぬまでの明治社会文化の根本的な動向と、
そして見えにくい細部の経緯をあらかた身につける必要があったのである。
天心をうけとめるとは、こんなにも辛いものかと思ったものだった。」
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岡倉天心の成長期から絶頂期までは千夜千冊に描いている
しかし
「この先の点景は書かないですますことにする。
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天心の境涯はここからしだいに寂しくなっていくのだが、
今夜はどうもそれを書く気分になれそうもないからだ。
ほんとうは、ここから先こそぼくが書かなければならない天心なのだが……。」
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岡倉天心の人生の最後を語るのに相応しいのは
松岡正剛が自分だと言っている
聴きたいですね・・・・・その先を
松岡正剛:千夜千冊ー岡倉天心『茶の本』
千夜千冊で検索・参照ください
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